珍しくお知らせでもアニメ真面目考察でもないのにタイトルと本文が一致。
今日はこちらのブログを読んでることを前提に書きなぐります↓
私の職歴についてです。とても長くてセンシティブですが、これを読まないと何となく理解できないかもしれません。
はい。こんにちは。ちゃんこです。
今日はちょっと皆様にここで話をする事で私の気持ちの供養をしようと思います。
多分これを投稿する頃にはクソ忙しくて逆に元気です。
さて、遡ること約2週間ほど前。
その日も朝早くに起きました。
(さて仕事に行こう。その前に、ブログと動画の再生数のチェックなどしよう)
そんな朝のルーティーンをこなそうとスマホを開くとメールボックスに数件の通知。基本的にメルマガばかりなので気が向いた時に開き通知がない状態に整理をしています。その日も時間があったので何の気なしにその作業をしました。
(ん?何このメール)
そこには見慣れないアドレス。そして
『元一校目中学校のDです。』
という件名。
D先生というのは一校目で私が辛くて学校に行けなくなった時に、物凄い気にかけてわざわざ看病セット等を届けてくれるような、とても優しく頼りがいのある教務の先生でした。
転勤する時の色紙には
『シャケのように戻っておいで!』
と私の努力を嬉しい表現で書いてくださる方でもあったので、今でも感謝しかない人でした。
そんなD先生からのメール。
何なのだろうか、そう思い開きました。
(以下伏せているところ以外原文ママ)
『こんばんは。ご無沙汰しています。もと一校目、いまは近所中学校のDです。
元気にしていますか?風のうわさで(J先生から(笑))、先生をお休みしているってききました。もし、もし、嫌じゃなければ、産休代替として、12月から、近所中学校で一緒に働きませんか?
もと一校目中学校の教頭のM教頭(いま近所中学校の校長)も、良かったら…と言っています。
代替するところは、私と同じ支援学級ですが、肢体不自由の学級の子で、良い子です。肢体不自由って言っても、わりとなんでもできて、身体介助はほとんど必要なしです。
協力する、できる先生方はいっぱいいます。Dもバリバリお手伝いします!
もし、詳しい話が聞きたいとかあったら、お返事ください。』
私は頭が真っ白になりました。
え?なんで?
なんで私がYouTubeとかブログで頑張ろうとしている時にこんなメールがくるの?
あと1週間、あと1ヶ月、あと1年……
それくらい遅かったら私の気持ちは揺らいでいたかもしれません。
しかし、このタイミングでの、教員という職業と同じくらいやりたい事を見つけたタイミングでのこのメール。
その日の旦那の言葉を借りるとまさに
「結婚式前日に酷い別れ方をした元カレが完全に更生して復縁を持ちかけてきた」
とか
「まるで踏み絵のように、これからの覚悟を試されている」
という感覚でした。
神様というものがもしこの世に存在するのならば、本当に残酷だと思う。
今どきメロドラマでもこんなベタなシナリオ書かないぞ、と恨みました。
当然D先生は私がなんで教員を辞めたのか、どんな思いだったのかなんて知りません。
D先生は悪くない。
ただ、私にはもう教員に向かう道具も器量も覚悟も無いんです。
T地方にいて苦しんでいた時、それでも教員という職業が大好きで、どうしても辞めたくなくて困っていた時、私は喉から手が出るほどこの土地での仕事を望んでました。
この土地に戻って先生でもなんでもしたい。
なぜならこの土地の人柄はとても優しいから。困っていると声をあげたら、いや、あげなくても、助けてくれるから。
戻りたかった。この土地に戻ってまた仕事がしたかった。
教員を辞め、実家があるS市では無く、ここに戻ってきたのにはそういう理由があったのだ。
「いつかまた子供が出来て落ち着いたら支援員も、なんてね……w」
そう旦那に語っていた。
それほど私は教育に携わりたかった。
死ぬほど先生という立場に、教育という現場に、未練があった。
それでも今はもうそんな未練が薄れている。
私はブログという媒体から始まり、様々なインターネット事業に手を出し、YouTubeに至っては収益を得ようと試行錯誤している途中だ。
もうここで色々手をつけた状態で、今更後には引けないかもしれない。でも今のこのパートの仕事だけで一生を終えるよりもっと私らしい事で稼ぎたい。
でも、焦ると私のメンタルに良くないからパートとブログとYouTube、のらりくらりとマイペースにやっていこう。
という自分に優しく覚悟を決めたつもりなのに。
なんで神様はそうさせてくれないのかな。
のらりくらりマイペースに生きさせてよ。
もう努力が実らないのは嫌だ。
必死に足掻くのは疲れたんだよ。
必死になっても結局努力は実らないじゃない。
努力すれば、目標に向かって努力をすればその目標を達成出来ているのならば、教員になりたかった。先生がやりたかった……。
どれだけ私に努力と追い込みをかければ気が済むの?
私の中ではもう「この話は断る」という答えが決まってるはず。決まってるはずなのに、全く断るための文が浮かばない。
浮かぶのは
「タイミング悪すぎる」
という恨みだけ。
しかし、そんな思考を巡らせていたら時間ばかりすぎてしまい、もう通勤時間になっていました。
(とりあえず開店作業は私にしか出来ない。流石に休むのはダメだから仕事には行こう。体動かせば思考もまとまるだろうし…)
そう思い、ダルい体を起きあげて仕事に向かいました。
その日どんな仕事だったのかはあまり覚えていません。
とりあえずいつも通りの動きをして、早退もせずに働きました。
働いている時
(断るのは決まっている。でも、死ぬほどやりたかった教員という職を棒に振ってまで、成功するかどうか分からないYouTubeに精を出すのはなんだか私自身にケジメがつかない。私は本当にこんな感じで生きていくのだろうか)
そう自問自答を繰り替えしていました。
しかし、そう自問自答して私ともう1人の私との対話を重ねていくうちに、私は覚悟を決めるしか無くなりました。
よし。死ぬほどやりたかった教員という職を棒に振って断るなら、それに見合うだけ、後悔しないように生きてやる。
今からその踏み絵ぶっ壊すだけ踏んでやる。
今の私は1人じゃない。旦那だっている。実家の両親も応援してくれている。
その人たちとぶち壊してやる。
神様だか運命だかなんだから知らねぇけど、かかって来やがれ。
私はそう心の中で啖呵を切り、
「パートを続けながら個人のYouTubeもブログも毎日投稿」
という目標を掲げ、生きていくことを決めました。
それは絶対大変な事だし、簡単なことじゃないです。しばらくは孤独な戦いが続くのだと思いますが、やりたかった仕事を棒に振ってまで選んだ道です。
何があっても、ストックがなくなっても投稿し続ける、そう決めました。
その日のうちに、D先生には断りのメールを送ったのですが、
「本気でやりたいことに向かっている」
と自分自身に言い聞かせながら打ちました。
ブログを通して文章を書く、ということに対して抵抗は無くなっており、メール文書は割と直ぐに出来ました。
ただ、この私の気持ちをどう表現するかとても迷いました。
これを書くことで私の人生が左右される。
という言葉というものの重みを感じながら文章を書くことはとても怖かったです。
現時点で後悔はなかったと言えば嘘になりますが、いつか
「あの日断って良かった」
そう思えるようにこれから頑張っていこうと思います。
そこそこ長い文章で、書きなぐったので拙い内容だったかもしれません。
とにかく、これから努力をしていくぞ、という覚悟と自分のモヤモヤした気持ちを晴らすためにこの記事を書きました。
ここまでお付き合い下さりありがとうございました。
では今日はこの辺で。
またの投稿でお会いしましょう🙌
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