ちゃんこの部屋

自称一般人のちゃんこが呟くお部屋。詳細はプロフィールをご覧ください!

おばあちゃん

私は父方のおばあちゃんが苦手だった。

 

お父さんよりお母さんが大好きな私は、お母さんに意地悪をするおばあちゃんが苦手だった。

だから、おばあちゃんに会うときはいつも決まってお父さんと2人だけだった。

 

おばあちゃんは会うといつもお金をくれた。

オタクだった私は貰うと直ぐに、そのお金で漫画を大量に買っていた。

 

それが当たり前だった。

そこに感謝なんて全くなかった。

 

お母さんは昔こんな話をした

「あんたが産まれる前、お母さんは流産してるの。妊娠初期の大事な時、おばあちゃんに長距離の旅に付き合わされたから。」

 

おばあちゃんのせいで私の存在は1回無くなってるかもしれない。

おばあちゃんのせいで私の姉か兄がいなくなってるかもしれない。

 

子供ながらにそんな事を思ってしまった。

 

だからいくらお金を貰おうとも、いくらセーターを編んでもらおうとも、言葉では感謝しても心から感謝なんて出来なかった。

 

そんな時、私はとあるピアノの発表会に出演することになった。

ただの発表会ではなく、評価され、優秀な演奏をした子は札幌のコンサートホール、Kitaraで弾く機会を貰える発表会だった。

 

今までアップライトピアノでしか練習をしてこなかった私。

こんな機会は無いということで、これを機にグランドピアノを買うことを決めた。

私というより、お母さんとお父さんで決めた。

私にはまだ、この発表会の凄さが全くわからなかったから、グランドピアノを買う理由なんてそこまで分からなかった。

もちろん、この時もおばあちゃんからお金をもらった。

今なら普通自動車が買える位の値段。

そんなグランドピアノを買ってもらったのだ。

 

そんな時でも感謝の気持ちはわかなかった。

 

あれは忘れもしない、高校生最後の冬。

叔父さんの家業の手伝いをしに泊まりに行った時。

おばあちゃんに異変が起きた。

高血圧で糖尿病だったおばあちゃん。毎朝インスリンを打っていた。

今日の分のインスリンを打ったのか分からなくなったらしい。

その質問は1回ではなく、朝のうちに何度も聞いてきたのだ。

おばあちゃんはいつも無くし物をするし、忘れやすい性格だったが、こんな事は初めてだった。

私は真っ先に「認知症なのでは」という考えがよぎった。

 

帰宅してお父さんに知らせるも

「いつもの事だよ。考え過ぎだよ。」

そう言われてしまい私も「考えすぎなのかな」と思うようにした。

 

しかし、おばあちゃんは酷くなる一方で、ついにはお母さんに電話で

「昔渡した着物をどうしたんだ!?」

と聞くようになってしまった。

 

他にも色々おばあちゃんの異変はあり、流石に病院に行くことになった。

 

診断は「認知症

 

私の予想通りだった。

この時大学生だった私は昔よりもそういうことに対する知識も深まってたので、余計に辛くなり、今までなんて酷い態度を取ってきたのか後悔をした。

 

それからおばあちゃんの認知症が進まないように私はより積極的にお父さんとおばあちゃんに会いに行った。

 

しかし、社会人になり、教員の生活が大変になった私は卒業以来全くと言っていいほど合わなくなってしまった。

 

この時、おばあちゃんは1人で暮らすのが大変になり、薬の管理も難しくなり、デイケアを利用するようになっていた。

 

聞けば叔父さんが置いていった食べ物を腐らせていたらしい。

食べることが大好きだったおばあちゃんが、食べ物に興味を持たなくなっと知り、辛く、自分が直ぐに行けないのが歯がゆかった。

 

そうしているうちに私は籍を入れた。

おばあちゃんはとっても喜んでくれた。

認知症が進んでるはずなのにずっと覚えててくれた。

何度もお父さんに

「結婚祝い渡さないとね」

と言ってくれていた。

 

その結婚祝いは教員辞めるその時まで大切に取っておいた。

 

いつかは会える。

落ち着いたら、いつか会おう。

旦那の顔をみせてあげよう。

そう思って教員を辞める時まで頑張っていた。

 

しかし時は経ち、コロナ禍が始まった

この時、おばあちゃんは病院一体型の介護施設に入っていた。

帰省どころか、おばあちゃんに全く会えなくなってしまった。

 

私はもっと後悔した。

なんで早くに会いに行かなかったのか。

なんで旦那に会わせてあげなかったのか。

コロナ禍が落ち着いたら電話でもなんでもいいから連絡手段を取って会おう。

 

そう思ってた。

 

しかし、今から2年前の年末の深夜、母親から電話がかかってきた。

 

おばあちゃんが死んだ。

肺炎が悪化してそのまま死んでしまった。

コロナが酷いから葬儀は両親と叔父さん夫婦で行うから、あんたは来ない方がいい。

 

なんで?

たった1人の孫だよ?

なんで?

 

後悔しかなかった。

 

先生になれなくてごめんなさい。

ピアノを使わないような学科に行ってごめんなさい。

お金貰ったのに無駄にしてごめんなさい。

旦那に会わせなくてごめんなさい。

おばあちゃんに会えなくてごめんなさい。

 

ごめんなさい。

ごめんなさい。

 

謝ることしか浮かばなかった。

苦手なんて思ったこと、お母さんに意地悪をした酷い人だと思ったこと、感謝しなかったこと。

全てに後悔しか生まれなかった。

 

辛くて、泣いていたら旦那が抱きしめてくれて、一緒に大きな声で泣いてくれた。

おばあちゃんに会ったことないのに。

声も聞いたことないのに。

一緒に泣いてくれた。

 

落ち着いたあと、夫婦で

「絶対に家を買って、おばあちゃんがくれたピアノを引き取ろうね」

と話をしたのを覚えている。

 

それから数ヶ月後、私達は家を買った。

そして、約1年経った今、ようやくピアノが家にきた。

大学卒業以来ほとんど触れなかったから、これからはたまに弾きたい。

 

今からでもおばあちゃんに感謝しても遅くないかな。

音楽が苦手なおばあちゃん、私の演奏楽しんでくれるかな。

 

伝わるように心を込めて色んな曲を弾いていくよ。おばあちゃん。

 

 

では今日はこの辺で。

またの投稿でお会いしましょう🙌

 

 

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