可愛い子がこんなやんちゃな曲歌うとさ、なんかこう……うぐぅうぅぅぅってなるよね←
はい。こんにちは。
真面目にブログのタイトルを書いたら全く伸びませんでした。ちゃんこです。
不思議だぁ……
ちなみに伸びなかったブログはこちら↓
原因が知りたい( ˇωˇ )
さて、先日
PSYCHO-PASS1期をイッキ見…………
…………え?シャレじゃないよ?←
とにかく、PSYCHO-PASSを1期、2期を観たんですよ。はい。
本当は1期のディレクターズカット版(1時間にまとめたもの)もみたかったのですが、アマプラには無く、断念。
ゲオとかで探してみようと思います。
……ということでPSYCHO-PASSを観て思ったことを語ろうと思います。
⚠️注意⚠️
ネタバレあります。
あくまでも個人の感想です
最大のネタバレを避けるために少し曲げて説明している部分があります。(ドミネーターについて)
⚠️注意⚠️
まず、PSYCHO-PASSとは。
Production I.G制作による日本のオリジナルテレビアニメ作品、および、これを原作としたメディアミックス作品。
舞台は、人間のあらゆる心理状態や性格傾向の計測を可能とし、それを数値化する機能を持つ「シビュラシステム」(以下シビュラ)が導入された西暦2112年の日本。人々はこの値を通称「PSYCHO-PASS(サイコパス)」と呼び習わし、有害なストレスから解放された「理想的な人生」を送るため、その数値を指標として生きていた。
その中でも、犯罪に関しての数値は「犯罪係数」として計測され、たとえ罪を犯していない者でも、規定値を超えれば「潜在犯」として裁かれていた 。
そのような監視社会においても発生する犯罪を抑圧するため、厚生省管轄の警察組織「公安局」の刑事は、シビュラシステムと有機的に接続されている特殊拳銃「ドミネーター」を用いて、治安維持活動を行っていた 。
本作品は、このような時代背景の中で働く公安局刑事課一係所属メンバーたちの活動と葛藤を描く。
第2期は第1期終了時点から1年半後から始まり、シビュラシステムと公安局に攻撃をしかけてくるシステムに認知されない犯罪者を追うことになる。
ここの内容を踏まえて話すことがございます。ご了承ください。
シビュラシステムについて私が感じたこと
まず、この作品では有害なストレス(不安、憎悪など)から生まれる負の感情をシビュラシステムというもので悪と認定されています。
そして、その負の感情が高まった人を罪を犯した犯して無いに関わらず、そのシステムで裁いているのです。
ちなみにそのシステムは裁くだけではなく、全人類の就職やその日の食事などを決めるなど、生活や人生に関わることを手助けするのです。
そうすることで、人間はより一層心地よく、いい人生が歩める、とされています。
このシステム、一見するとすごく未来的であり、便利な世界と思われます。
だって将来について悩まなくていいですし、考えることはほとんど無いんですもん。
しかし私はそれって凄く幸せな事なのかなぁ、と疑問に思い、考えさせられました。
悩んだり、辛い思いを抱えることも人間的な事だと思うんですよね。
得に、自分の将来の事は政府が作った機械なんかに決めて欲しくない……。
自分の本当にしたいことは自分で決めたい。食べたいもの、飲みたいもの、見たいもの全て。自分で悩んで、自分で決めたいです。
実は、この考えは凄く潜在犯や執行官に似ていますw
つまり私は犯罪者の気持ちが理解出来る、色相が曇ってるんでしょうね🧐←
心理を数値化する世界観
シビュラシステムは自分が感じている事や、感情そのものを数値化するものでもあります。
その数値化が重要視されているのは負の感情ですけど、私は最初から
「そのシステムに引っかからない奴がいるんじゃね?」
と思ってました。
それは大当たりしますが、どうしてそんな考えに至ったか。
それは世の中にはストレスを受け流す人がいたり、サイコパスの人がいるからなんです。
もっとさらにストーリーを進めて話をすると、作為的に数値(殺意)を爆上げさせたり、殺意なく人殺しに関わらせたりすることだってできるんです。
つまり人は人の感情を動かすことが出来るんです。あくまでも機械はその補助。
さらに掘り下げます。
人の脳内に産まれた感情は数値化するなんて、そんなのは夢物語です。
中には凶悪犯罪を何も感じずに行う人だっています。全ての犯罪が感情や興奮に則って生まれてる訳では無い。その行為自体に何も感じず、ただその方が合理的だからという理由で動く人だっているんです。
だから私はこのシビュラシステムに大きく疑念を抱きました。(ディスりではなく、作品の世界観に入ったつもりで考えたことです。)
人の感情を数値化するということは同時に人間を縛ります。
この世界に則って話を進めますが、自分の数値が悪い方向に行くと人は焦り、ますます深みにハマります。それは結果的に感情に制限をかけてしまうのです。
つまり、シビュラシステムによって人間は無気力、無関心になります。
少し今の日本に近いかもしれないですね。出る杭が打たれるのを恐れて何者でもない人になろうとする。
そういう意味でこのアニメは現代日本における人間性を問う作品なのかもしれないですね。
法が人間を裁くという行為
シビュラシステムを搭載している機械は多くありますが、その最たるものかドミネーターです。
これは銃型の機械であり、監視官や執行官が犯罪係数の上がった人を裁きます。
つまり今回の見出しにもあるように、このアニメの世界では機械が人を裁くのです。
正確には機械とは言い難いのですが、これを言ってしまうと重大なネタバレに繋がるのであえて掘り下げません。
つまり何が言いたいかというと、この世界において、シビュラシステムが法であり、執行するものとしてドミネーターがあるのです。
人を裁き統一する法、シビュラシステムは完璧なものとされているこの世界。
それは機械によって人の心理が測定され、裁かれてるから。
しかし、それは完璧であるが故にある矛盾が生まれます。
それは
シビュラシステムはシビュラシステム自身を裁けるか。
という事です。これは故事における矛盾のお話に通じるものがありますよね。
全知全能の神が世界一重い石を作ったらどうなるのか。
裁くということ、人間の秩序を保つということ。
今の時代、法よりSNSによる社会的制裁が世間的には重要視されている時代です。
そんな現代の日本、いや世界が「裁く」ということについて今まさに問われていることではないでしょうか。
常守朱という人間
この作品の主人公である常守はそういうサイコパスとは違って、「鋼鉄の心」を持っています。
ショックな出来事をストレスとして溜め込まずに、公安局として、人としてとして法を守ることを糧にして目の前のことをただひたすらに突き進む力強さが彼女にあります。
だから彼女の色相は濁らないのです。
彼女は強く入れるのです。
人殺しをしてしまったら何故いけないのか。
酷いから?殺された人が可哀想だから?
違います。
人殺しは法律違反だから。
時と場合によっては法が間違ってる事もあります。
でも、法律は法律。
どんな理由であれ、過ちを犯したら法で裁かれるのは決まっているのです。
でも、法律はあくまでも罪を「犯してしまった」ことに対してです。
犯す前なら、感情で罪を犯してしまう前なら、法で裁く前に他者の力で何とかなるのではないでしょうか。
そういう意味でもこの世界の検察官や執行官は存在する意味があると思います。
彼女の存在はそんな法律の必要性を解くことにあると思います。
彼女の信念の強さ、免罪体質とはまた違った次元にあるのでは無いのかと思います。
さて、色々難しいことを語りましたが、大きく言いたいのは相変わらず虚淵玄の世界観は心に刺さるものがある、という事ですね。
信者やアンチがいる中、個人的にはそんな流行などというものに乗ってたまるか!と思っていましたが、仮面ライダー鎧武*1といい、まどマギといい、すっかり虚淵玄のファンになってしまいました。
しかし、彼の書くものは相変わらず暗く重いテーマばかりなので、アニメ見るにしても、ブログ書くにしてもかなりの体力と労力が要ります。(今回は一週間くらいかけてこのブログを書きました)
すごく面白くてイッキ見したくなる魅力があるのですが私にはどうもその体力が無い。
それだけ彼の作品は魂を持っていかれます。魅力と言うより魔力と言うべきか……。難しいですなぁ……。
まだアマプラにもありますし、10月からの秋アニメでは新シーズンがございます。
もし気になった方がいらっしゃれば観てみてはいかがでしょうか??😆
では今日はこの辺で。
またの投稿でお会いしましょう🙌
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