ちゃんこの部屋

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【長文】荒ぶる季節の乙女どもよから学ぶ思春期における性について【5000字超】

あれれー?この前

真面目にタイトルを書いたら全然伸びなかったじゃないですかー。

いいじゃない。好きで書いてるんだから

 

 

はい。こんにちは。

これから書くことはあくまでも個人の持論です。ちゃんこです。

本文は攻めるので今のうちに保身に入りますぜ。

 

 

さて、今日は先日ようやく『荒ぶる季節の乙女どもよ』の最終回を観ました。

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色々思うところがありますので語っていきたいと思います。

 

⚠️注意⚠️

  • かなり直接的な性表現が含まれます。性表現に嫌悪感を感じる方は読むのを推奨しません。
  • あくまでもちゃんこ個人の持論です。女性や男性の総意見ではないです。
  • ネタバレ注意!
  • 原作未読です。

⚠️注意⚠️

 

それではまず、『荒ぶる季節の乙女どもよ』とは。

『荒ぶる季節の乙女どもよ。』(あらぶるきせつのおとめどもよ)は、原作:岡田麿里、漫画:絵本奈央による日本の漫画。『別冊少年マガジン』(講談社)にて、2017年1月号(2016年12月9日発売)から2019年10月号(同年9月9日発売)まで連載された。

モモやハリー・ポッターなどを愛読する小野寺和紗は、高校で文芸部に入部する。題材として扱われるのは、日本の純文学ばかりで戸惑いながらも、男女交際潔癖症の部長・曾根崎り香、小説家志望の本郷ひと葉、奥手の和紗の友人・須藤百々子、舞台子役をしていた美少女・菅原新菜といった風変わりで個性的な部員たちに囲まれながら高校生活を謳歌していた。

ある日、文芸部の題材図書に性的な描写があったことをきっかけに、和紗や部員たちは性について意識し始める。

 Wikipedia(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E3%81%B6%E3%82%8B%E5%AD%A3%E7%AF%80%E3%81%AE%E4%B9%99%E5%A5%B3%E3%81%A9%E3%82%82%E3%82%88%25E3%2580%2582)より引用

ここからの内容やストーリーの内容を踏まえてお話しますので、ネタバレ等ご了承ください。

 

1.女の子におけるSEXの立ち位置

初っ端からセックス、と書きました。

注意書きに書いたのでここから読んでいる方はセックスという単語に嫌な方はいらっしゃらないと信じて書きます。

さて、この物語の最大のテーマである

「思春期における女の子にとってのSEX」

私はアニメを見て学生時代の自分や友人を照らし合わせて観ていました。

そこから考えたのは女の子にとって抱くSEXの捉え方は4つあるということ。

 

まず1つ目はSEXに対して嫌悪感を抱く人

これは文芸部の部長である曾根崎先輩の考えです。

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f:id:chanko_bamboo:20190919184600j:imageメガネ外すと可愛いよね。

彼女は真面目で潔癖。これは経験上、女子校育ちなら良くある人種だと思います。

女子の中で長く育ったり、親から厳しく育てられたりすると真面目に育ってしまい、周りからは女の子として扱われなかったりなどします。

そういうことから余計に

「恋愛している=肉欲に溺れている」

という等式が成り立ってしまいます。

でも、そういう人に限って恋愛をすると手のひらクルクルしちゃうんですけどね。

まぁ、いい意味で、です。

いわゆる蜜月期の甘々な時間を純粋に楽しめるのはこういうタイプの子ですね。最初のうちは恋愛に対しても真面目に向き合おうとするので、めんどくさいこともあるだろうけど。

 

そして、2つ目は性に対して恐れがない人。

これは十条さんみたいなタイプ。f:id:chanko_bamboo:20190919184550p:imageの金髪ギャル。こんなナリだけどすごく良い子

いわゆるリア充陽キャと言われる部類。私には縁もゆかりも無い存在。

こういうタイプの方々は基本、進んでSEXをします。

真面目な私からすれば考えられませんが、それは私のような陰キャよりも彼女たちはより多くの男性と関わってるからなんですよね。

ただ、それは私たちとは根本的には変わりがないんです。

違うのは遅いのか、早いのか。

関わる人間の数が多いのか少ないのか。

そこなんだろうな、と、このアニメを観ていて考えを改めました。

もう、こういうタイプの人達全てをビッチなんて呼ばないようにします。

 

3つ目は性を使って自分を見出そうとする人。

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これは菅原氏とひと葉です。

彼女らは体を張ってSEXを知ろうとします。

というより、SEX。知ることで自分というものの価値や魅力を知ろうとします。

ここでは深く語りませんが、次の「魅力とSEX、恋愛とSEX」で深く語るつもりです。

個人的にはひと葉の物語が自分と重なり、若き日を思い出しました。若き日と言ってもまだそんなに年月は経ってませんが。でも、そういう日々から自分はもう10年近く経とうとしてるんだな、と書いていて感傷に浸りました。

話がそれましたねw

隙あらば自分語りの癖を何とかしたい←

 

最後に、4つ目は性と自分の在り方を真っ直ぐに向き合う人。

f:id:chanko_bamboo:20190921192200j:image本作の大枠の主人公

これは和紗の立場ですね。

いや、和紗だけではなくこの作品全員に言えるんだけど。

彼女が最もスタンダードな性の捉え方をしていました。私もこんなふうに性と向き合いたかった……。

 

彼女は純文学における性表現や好きな人の自慰行為を目撃したことをきっかけに、SEXに対して怖さを抱きながらも、しっかりと純粋に恋愛とSEXについて向き合い、彼女なりの答えを見つけ出そうとします。

純粋にSEXと恋愛を向き合う、というのは思春期において難しいです。

この時期にとって性は気恥しさから嫌悪感や笑いの対象になりがちです。それでもやっぱり恋愛において性は切っても切れないです。だからこそ向き合わなきゃいけないんです。

このアニメはそんな事を和紗を初めとするキャラクターを通して教えてくれたと思います。

 

……と4つの観点から女の子におけるSEXの立ち位置を語りましたが、どの観点もこのストーリーにおいて欠かせないものです。ここの観点は次の話に繋がりますので、あまり掘り下げず、このまま次に進みます。

 

2.魅力とSEX、恋愛とSEX

さて、ストーリーを深く掘り下げます。

これから軽く3つの場面を紹介します。長くなるので軽くで失礼します。詳しくはアニメや原作(漫画)をご覧になっていただけたら、と思います。

 

まず作品序盤で泉はSEXに対する気恥しさから

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「俺は誰ともこういうことしたくない!もちろん和紗とも!」

と言ってしまいます。それを聞いた和紗は酷くショックを受けます。

 

そして2つ目は後半で、ひと葉はミロ先生との片想いを終わらせるために迫りますが、ミロ先生は結局勃たず、

「私に魅力がないからですか!?」

とショックを受けます。

 

最後に3つ目は菅原氏です。彼女は泉が和紗と付き合ってることを知りながら泉の事が好きなので、自分のモノにするために痴女的な行為をします。それに対して泉は思わず勃起してしまいますが、菅原氏の誘いを断ります。

それを聞いた菅原氏はショックを受け、自分自身に自信を無くしてしまいます。

 

……と3つの場面を紹介しましたが、観ていない方からすればなんのこっちゃですよね。すみません。

 

というのは置いといて、私がここで語りたいのは先にあるように

「魅力、恋愛におけるSEX」

です。

 

女性にとってSEXは自分に魅力があって、好意があるからしてくれるもの、と思いがちです。

つまり女性はSEXの興奮と恋心を混濁しがち、というのもありますし、何よりもSEXと恋愛を繋げたくなります。

自分に恋愛感情があるから、SEXをしてくれる、という等式が女性の中に成り立ってしまいます。

そこから世の中の女性のほとんどが彼氏や旦那さんがAVを観ていて怒りを感じ、喧嘩に発展してしまうのはそのためだと、私は結論づけます。

ちなみに私の場合は主人がそういうの観ていると発覚した時、どんなジャンルを観ているか聞いたり、これはあーだ、ここが良いねとか批評します。そこに怒りは全くありません。主人がAVを観て楽しんでる、という事に安心しますし、私もそれを観て勉強、というか、女性の身体や男性の身体について考えたりします。いや、そんな話はどうでもいい。

 

話がそれましたが……つまり、私がここで何が言いたいかと言うと。

彼女たちがショックを受けた理由としてこの女性特有の感情があるからです。

和紗もひと葉も菅原氏も

「自分に魅力がないから」

という理由でショックを受けています。

 

特にひと葉や菅原氏は

「自分に好意があるからチャットセックスをしていた」

「自分に魅力があるから勃起していた」

と思ってしまったからこそ、この物語を形作ったと言えます。

 

でも、男性からしたら違うんです。

チャットエッチはあくまでも臨場感がある官能小説、可愛い女の子と密着すれば勃起する。

つまり男性にとって性はもっと直球なんです。

よく、男性は興奮すると男性器に脳が支配される、と聞きます。そんなもんなんです。

それでも男性はそんな男性器に支配されないことを証明に家族を作る、家族を守る、という形で愛情を表現するんです。

 

しかし女性はそうじゃなくて、もっとSEXに対して意味を求めますよね。

だからSEX中に「私の事好き?」とか聞いたり、「愛してる」とか言われたかったりします。

でも実際にそんな事を求めると、男性は一気に冷めてしまったりとかしてしまうんです。そんな事を考えるより女の子とのSEXを純粋に楽しみたいから。

 

だから、男女は上手くいかない事がある。

 

……男女って難しいですよね。

 

その辺の大きな認識の違いがあるから彼女たちは「性に振り回されて」しまった。

荒ぶる季節の乙女どもになってしまった。

 

このアニメの重要な部分ですね。

男にとっても女にとっても分かり合えない原点としてSEXにおける大きな観点の違いがあるからです。

生の根源は性にあり。

そんな事を考えさせられました。

 

ここからは自分語りになりますが、私はどちらかと言うとSEXに対して男性的な目線もありますし、女性的な目線もあります。

つまり、本能でSEXを感じますし、感情としてもSEXを感じます。

そこのチグハグさがあって分からないから私はSEXについてAVを見たり、エロ漫画見たりして研究をするんだと思います。

なのでエロネタに関しては、これからも読者様の反感をかおうとも負けじと書いていこうと思います。(反感はかってないけど)

 

3.少女から女になるということ

少女から女になる、少年から男になる。

大人になる条件ってなんなんでしょうね?

 

処女を捨てる?

童貞を卒業する?

 

そんな単純なものじゃないと思います。

大人になる、という事は男女の事を理解しようと奮闘する、そしてその答えを自分なりに見出する。

その過程に大人になるという条件があるのではないでしょうか。

 

……あ、いや、これは決して読者様に投げかけてる訳じゃなくてw

大人になるという事は人それぞれにあって……。それこそ

初体験をしたら

成人式を迎えたら

ビールが美味しく感じたら

社会人になったら

子供が生まれたら

……色々その人にとって大人としての節目があると思います。

 

最終回では彼女たちは自分たちを純白から自分色に染め上げていこう、という事を通して大人として、成長するという答えを導き出しました。

 

私の場合はまだ決まってません。

まだ子供のような気がします……。

ヤる事ヤってるし、

お酒だって飲んでるし、

仕事だってしてるし…

……変なの。

 

今の時代、SNSやソシャゲの普及で大人も子供もその垣根がありません。

だからこそ今一度「大人になる」、という事を考え直すのにもいいかも知れないですね。

 

そのためにもまずはあえて禁忌とされているSEX、性ということについてしっかりと子供と大人で考え直す、向き合うことが大事だと、このアニメを観ていて考えさせられました。

性に対して隠したり遠ざける事は大人としての心配があるからなのは分かります。でも隠したりする方が子供は興味を持つんです。だから、その年齢に応じてしっかり教えるのも大事だと、私は説いていきたいですね。

 

 

最後に……色々語りましたが、「荒ぶる季節の乙女どもよ」という作品に出会えて良かったと思います。

コンプライアンスが物申して性を遠ざけようとするこの世の中。このような時代にこんな作品が世に出たのは凄い攻めだと思います。

隠されすぎて何も言えないのは正直健全ではないです。

健全なエロはオープンにしてなんぼだと私は思うので、この作品を通して、私はこれからも性について考えていきたいと思いました。

 

 

では今日はこの辺で。

またの投稿でお会いしましょう🙌

 

 

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